坐骨神経痛にはじめて見舞われたのは高校1年の春のことでした。体育の授業でスクワットをやったのがきっかけでぎっくり腰になってから、日増しに臀部から太腿へ激痛が走るようになり、やがて爪先までシビレっぱなしになっていきました。
病院の看護婦をしていた母の看護雑誌にたまたま椎間板ヘルニアの解説ページがあり、生物研究部員であったわたしは、その図解を模写しながら「ああなるほどこれが原因でこんな激痛が走るのだな」と妙に納得していました。
左脚の激痛はやけ火箸を突っ込まれているかのような激しさで、苦痛にのたうちまわる感じがしていました。近所の整形外科から2つの大学病院への検査を受けやはり「椎間板ヘルニア」の診断をうけました。眠れない夜がいくばんも続いていました。「なんでこんな思いをしなければならないのか?」みんなが勉強に励み部活を楽しんでいるときにひとりで悶々としていました。
紹介を受けて鍼治療もためしてみました。治療院までバスで20分くらいだったでしょうか。座ると激痛だったので、ずっと立ったまま通院していたことを覚えています。施術後は身体がポカポカしたのを覚えています。そして夜にはまた激痛がもどっていました。
大学病院に入院して経過をみることになりました。1週間ほど安静にして、寝台の上で仰向けのまま牽引を受けて「腰を伸ばす」処置を受けていました。この処置でも症状は変わらず、手術を受けることになりました。
手術後、2ヶ月の入院。当時の施術後は絶対安静だったので、寝台の上で下半身は抑制帯で固体されたままでしたので、すっかり骨と皮になってしまっていました。現代のヘルニア手術だと入院しても数日で、なかには日帰りのこともあるようですね。
退院後はリハビリして、歩いたり、陸上部の傍らで走ったりして筋肉を回復させていきました。生物研究部の活動での採取活動にも励めるようになっていきました。もともと走るのが得意だった私は2年生、3年生と運動会ではリレーの走者をつとめることもできましたが、手術前とくらべると走力は落ち、腰が重くスピードが乗らない状態からは脱出できずにいました。身体的な原因なのか、精神的にブロックがかかっていたのかはよくわかりません。痛みから解放されて活動できるようになっていたことには感謝していましたが、なにか全力をだせていないもどかしさはぬぐいされなかったようです。
村井雅紀
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